今日、恵那山は“えなさん”と呼ばれていて、文字も此のように書かれている。しかし江戸期には、その山の姿や、或いは地域によって、それぞれ違った呼称を持っており、その表記の仕方も、恵那の那を奈とした記録も多く見られ、現在のような一定の呼称・表記ではなかった。
貝原益軒が、貞享2年(1685)木曽路を通った折りの『木曽路之記』には、“…落合の南なる大山を横長嶽と云…”とあり、松平秀雲(君山)の『濃陽志略』(宝暦6年−1756−)には“…恵那嶽は美濃第一の高山である 遠国よりのぞむと 形は船を覆せたようにであるので 覆船山と名付けられている…”とある。
また信州の人々は、一般に野熊山とも呼んでいるとの記録がある。木曽三留野園原舊富の『美濃御坂越記』(明和2年−1765−)には、“恵奈山 山上ニ鎮座神名所伝ヲ失テ不知 里宮ハ中川ノ川上ニ有リ恵那郡中ノ宗社トス 村民ヲタケサマト云フ…”ともあり、地元の人は恵那山を御嶽様とも呼んでいたようである。このように恵那山は、覆舟山・横長嶽(與奈嶽)・野熊山等とも呼ばれ書かれているが、一般的には恵那嶽、恵那山と書かれているものが多い。